ホ"
ノハ"
戻る

マティチョン紙 2546年11月28日 別刷りカラー特集より
読みにくいからブラウザーの画面を最大にしましょうごめん


** お坊さんの衣 **
お洒落じゃ無いなんて誰が云った?



生まれたもとを辿ると西洋人(ファラン)の身につけた布に

元祖仏像はギリシャ人−ローマ人の技術によって作られた。お坊さんの衣,もしくは黄色い布はヨーロッパ人の身につけた布が出所なのだ。 と,こう聞いたら,(仏教国の人間としての)慣れの感情の内が恥ずかしくなるに違いない。

「芸術文化」誌11月号はこう解説する。 なぜ釈尊の代理となる仏像(新単語:パティマーコン,パティマーカム)は西洋人と顔つきが似ているのか?なぜ仏像に髪の毛があるのか? 定説では最初の仏像は「人間」として造られた。インド北西部(現在のパーキスターン)に栄えたガンダーラ王朝(ユイジェーとシティアンの時代;筆者注:今このことについて調べる気力無し)の美術のスタイルである。

中央アジアから移動したかの地の人々は,クシャーナ城を築いた。歴代の王で重要なのはアショーカ大王と同じく仏教を手厚く保護したカニシュカ王である。この時代(佛暦663−705年,西暦120−162年)は上座部仏教よりも大乗仏教が盛んであった。

そしてかの地はかつてギリシャのアレクサンダー大王が武力で侵入し支配した土地(シンドゥ川流域)であり(佛暦217−218年,紀元前326−325年),後の時代にはローマ人も進出し商業などを行っていた。ガンダーラ王朝の美術が生まれたとき,ユイジェーたちはギリシャ人−ローマ人の芸術家による美術製作を行い,そのためにガンダーラ王朝期の仏像もしくは人物像の顔立ちは西洋人だったのである。

釈尊の涅槃から600年後のギリシャ−ローマの職人による仏像は鑑賞に堪えるすばらしいものである。その尊像の姿形,民族が真実(を象ったものか)か誰も知らないが,職人はすべての人人が受け入れることが出来る釈尊の代わりになる仏像を作り上げたのである。

さて,ギリシャ−ローマの職人による仏像の特徴は,鼻が高く,口が小さい,眉がきれいに丸く弧を描き鼻梁に結びつく,ギリシャのアポロ神の像のように頭部の後ろに丸い光明がある,と云うような西洋的美意識による美しさを持っていることにある。

着ている衣は厚地の布で,多く(の作例)は両肩を覆っている。衣の皺は自然に見える大きめの筋の皺である。ローマ人の着る衣に非常に似ている。顔立ちの特徴は,経典が説く「大人物の相」に添って造られている。耳たぶが長い(古代インド人は重いイヤリングをつけることを好んだ。錘にして耳を長くする目的もあった),額の中央に印がある,掌に法輪の印が刻まれている,などなど。

重要な点は,仏像に長い髪の毛がある,ということが他の仏像全般と違いを明らかにしている。頭頂部には髪をまとめあげた髷(マゲ)があり,普通の人と同じように線状の小さな装身具で髷の根元をしめている。時には額の中央に鋭角的に描かれる。円形の光明が頭部の後ろにある。

仏像がインド人に伝播したときに,髪の毛の部分に修正が加えられたと見られる。髪を束ねて右回り(新単語:タクシナーワック)にねじった形(螺髪)にして頭上に髷を乗せた。

経典が説く「大人物の相」の中で,髷の相の記述は消えてしまい,代わりに釈尊の頭部は尋常ではないものが頭頂から湧き出しているとされた。「ウシュニシャ」とインド人は呼び,タイ人は「ケートゥマーラー」もしくは「マオリー」と呼んでいる。

「三衣(さんね)」は釈尊在世の時代から戒律に現れた仏教教団のお坊さんが着る衣である。釈尊が許可したのは死体を包んだ布を縫い合わせて作った衣である。これをインド語で「パンスクラチーワラ」,タイ語で「バンスクンチーウォン」と呼ぶ。

後の時代になって信心を持つ人の供養による衣の着用も許されるようになった。これをインド語で「グリハパティーチーワラ」,タイ語で「カルハバディーチーウォン」と呼ぶ。

三蔵経典に曰く,釈尊がインド南部の山地ダッキナーシリーにおいでになったとき,釈尊はマガダ族の畑を見て,あぜ道があり畑が区切られていることに着目した。そこで弟子のアーナンダ(タイ語:アーノン)に命じてこの畑のごとくに衣を作らせた。出来あがると釈尊は称賛し,これをもってお坊さんの衣の様式を制定し,3種の布を使うことを許した。「サボング(腰巻布)」,「チーウォン(体につける布)」,「サンカーティ(重ねて掛ける布)」が三衣(タイ語:トライチーウォン)である。

衣の染料は木の根,木の幹,木の皮,木の葉,花,果物から作ることが許された。そして不適切な色で染めることを禁じた。即ち,原色の緑,原色の黄,原色の赤,原色の黒,濃い赤,変化した赤,つやつやした原色である。

この「原色の黄色」の禁止事項があることで,幾人かのお坊さんはタイ語で「クラック」と呼ぶジャックフルーツの木の心材から作った染料で,色を渋くさせるため重ねて染めなおした。

後の時代になって問題が生じた。衣が公衆の面前で乱れて肌があらわになることである。そこで腰帯(筆者注:おそらく腰巻用)と,帯(筆者注:体につける布用で胸と腹の間ぐらいを締める)の着用が許された。そして雨季の移動のときの解決策として,仏教徒の供養した水浴び用腰巻(パーアープナームフォン)の所持も許された。

衣のスタイル(が現在の形に定着したのは)は釈尊在世時代より後のことと思われる。と云うのはガンダーラ王朝の世界初の仏像のスタイルはローマ人の着付けであり,のちに続くグプタ王朝後期までその芸術的な影響は続いていた。しかしながらお坊さんの衣と,衣の着付けのかたちは時代にしたがってインド芸術を完全に満たすべく理想のかたちへと発展してきた。

インドシナ半島で最も古いお坊さんの衣のスタイルの証拠は,スパンブリ県ウートーン郡のウートーン博物館に保管されている。幅20センチ,高さ16センチ,仏弟子3名の托鉢姿の焼き物の像である。衣をまとい(筆者注:文脈から覆っているのは両肩か左肩かはっきり読み取れない),衣の端は条になっている(筆者注:衣のすそはしわになっている,か?)。この衣の着付けのスタイルはアマラーワディー美術のスタイルであり,この像は製作年代を佛紀7-9世紀もしくは佛暦600年ごろのものと特定できる。またドワラーワティーの時代より前にインドシナ半島の土地に宗教的な施設が建てられたことを証明するものである。

このお坊さんの像は古代の街ウートーンとアマラーワディー時代のインドとの関係を表している。そしてその時代のウートーンのお坊さんは,きっと同じスタイルで衣を着ていたことであろう。

それは,なんとギリシャ−ローマの着付けスタイルだった!!



黄色い衣でフェーッシャン(Fashion)

最も贅沢なのは一式5万バーツ

釈尊の時代,お坊さんの衣は死体を包んでいた布を剥いで縫い合わせて一枚布にしたものだけ使うと決められていた。欲望から離れ執着を持たないことを示すためである。

しかし現代のテクノロジーにおいては縫製技術の進歩により,より品質の安定した丈夫な,目の詰まった衣が作れるようになった。値段は客の要求に応じて400バーツから数万バーツまである。

パトゥムターニー県のワット・タンマカーイの元住職(筆者注:土地がらみの裁判で元住職になった)は,人が噂するには,布は特別注文でスイッツランドから取り寄せた布を使っていたそうだ。その布は特別で木目細かく厚く重量感があるのでお坊さんの衣を作れば風が吹いたところで簡単にはなびかない。

20−30年前はこの布地はメートル当たり500バーツ程だった。お坊さんの衣には12−13メートルの布が必要であるから1万バーツを超える計算になるが,もし現在の布地価格だったら一体どこまで値が張るものやら。誰もその値段は分からない。そして色落ちしない特別な染料でもって手作業で染めるのである。

縫製の工程もまた特筆ものである。一箇所に縫い目が重なって出て見えないように縫われている。特別の衣を作るためにホート・クートゥア(Houte Coutour)の資格を持つ縫製職人をお寺から月給を拠出して雇ってお寺の隣に家賃無料の住宅を提供し住まわせている。しかも同時にその職人には他のお寺のお坊さんには衣を作らないとの言質を取るのである。

というわけで,ワット・タンマカーイのお坊さんの衣のお値段は,お寺の高級幹部クラスが身につけるもので一式4000−5000バーツ。これは日本産絹糸で作られたものである。安いものではトーレー(東レ?か)製中級布で800−1000バーツ。一般のお坊さんが普段使用している衣は400−600バーツ。大物のお坊さんはつやつやとした絹製の衣を好んで着ている。

染料は昔は天然のものを使っていたが,現在では必要な色を選べるのと,色落ちしないとの理由から科学染料を使っている。お坊さんの衣の色の多数派は2色ある。黄金色(明るい黄色)と,森林派やタンマユット派のお坊さんが使うジャックフルーツ芯木染めの色である。この他に王の制定した色(明るい茶色)があり,王室がトート・パーパーやトート・ガティンの行事で使用する。

サオチンチャー地区の仏教用具店ブワチャット店主のワンディー・アヌポン・パイサーン氏によると,お坊さんの衣の布地と色に関して

「布地は何種類もある。東レ,厚地の東レ,綿モスリン,シルク,スイス製絹(筆者注:シルクと絹{パー・マイ}は別の単語を使用しているが違いがわからない。パー・マイがタイ・シルクということだろうか?それにしてもスイス製?)などがあり値段もだいぶ差があり,それは品質にも差があるということです。東レの最も安価なものは250−300バーツであり,厚地の東レならば450バーツです。最も品質がよく高いのはスイス製の絹で大体550バーツです。次に良いのがモスリンです。きめ細かいのですが,着てみると快適さでは少し落ち(絹と)同等ではありません。」

「多くは注文で衣をあつらえることはしません。長時間待たねばならないからです。この辺りのお店もうちと同様すべての色とサイズを取り揃え,選んでいただくのです。」

「現在お寺ごとに着用する衣は違います。例えばワット・スタットでは黄金色,ワット・ボウォンではジャックフルーツ芯木染めの色というように。一般的に使われているのは王の制定した色と呼ばれる色です(筆者注:一般的とは云えないのではないか。前でお寺ごとに違うと云っておきながらこの店主X。ちなみにワット・リヤップのお坊さんが身につけるのはこの色)。」

仏具店には6種の色の衣を揃えている。ジャックフルーツ色,黄金色,王の制定した色,程ほどにくすんだ色,黒ずんだ色(頭陀行のお坊さんが使う),赤くくすんだ色(ビルマ僧,スリランカ僧が使う)である。

お坊さんの衣がどんなに贅沢で価格が高くてツヤがあったところで,もしお坊さんが田舎に住んでいるのであれば,村人が織って染めて縫って供養された衣をガティン祭の伝統にあるように着るわけである。



戻る      ホーム