** タイ文字で綴る般若心経 ** |
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このお経は Heart Sutra Home Page のデーワナーガリー文字によるサンスクリットの般若心経をタイ文字に置き換えたものである。ウィサルガ記号がサラ・アで置き換えて良かったものか,’の用法が正しいか不安があるが大筋で置き換えはできてているはず。タイ文字は子音の複合文字がないためサンスクリット文の流麗さが失われている。読み方に就いてはカナをふることも考えたが,もし原典を声に出して読みたいならタイ訛りのサンスクリットより,本場インドの発音で読んだほうが良いのでやめておいた。訳文は上述サイトの英文からの和訳である。
そもそも何でこんなことをしたかと云えば,3年ほど前,日本のお坊さんがタイ旅行で立ち寄られたときに「タイ文字の般若心経は手に入らないか?」という質問を受けたことだった。心経は大乗仏典だから無いと思います,と答えたが原典からの文字の置き換えなら出来ることを思いついた。3年越しの要望に応えることになった。
こんな話を聞いた。貴い人がハゲワシ山の王様のお城にいた時,お坊さんと道を求める者たちが集まっていた。ちょうどその時,貴い人は深く顕かな教えを体現するアレの境地に入っており,また同じ頃,アワローキテーサウォンという名の道を求める大人物は,深遠なる(何が何だか良く判らない)パンニャーバーラミーを実践して次のようなことに思い至ったのである。五つのアレは本来アレであると。
そして,目覚めた人の尋常でない力がはたらいて,仏弟子サーリーブットは道を求める大人物アワローキテーサウォンにこう云った。
「高貴な家の子女が深遠なる(何が何だか良く判らない)パンニャーバーラミーを修行をしたいなら,どう修行すれば良いのでしょうか?」
道を求める大人物アワローキテーサウォンは仏弟子サーリーブットにこう云った。
「おお,サーリーブット,高貴な家の子女が深遠なる(何が何だか良く判らない)パンニャーバーラミーを修行をしたいなら,こう云う風にくっきり見えたらO.K.。五つのアレが本来アレだってこと。かたちはアレであり,アレはかたちである。かたちはアレでしかなく,アレはかたちでしかないってこと。そんな調子で,感じること,感じたものを認識すること,認識されたものを編成すること,編成されたものを考えること,これらもアレなんだ。だからさ,サーリープット,すべてのあるものはアレなんだ。」
「そこには個の性質もなく,生まれることも絶えることもなく,きたないもきれいもなく,減ることも増えることもない。だからさ,サーリーブット,アレだからゆえに,かたちも,感じることも,感じたものを認識することも,認識されたものを編成することも,編成されたものを考えることも無いし,視覚,聴覚,嗅覚,味覚,触覚も無い,固有普遍なものなんて無い,目に見える世界は無いし,意識される世界だって無いんだ。愚かさも,愚かさの絶えることも無いし,老いて死ぬことも,老いて死ぬことの絶えることも無い。苦しみも,苦しみの元も,絶つことも,絶つための方法も無い。智慧も無い。達成することも無い。達成していないことも無い。だからさ,サーリーブット,道を求める人は達成していないから,パンニャーバーラミーによってとどまっているんだ。」
「心にくもりがないから,恐れが無い。うそを超越してアレに達する。過去現在未来の目覚めた人はパンニャーバーラミーによって,この上ない本当の完全なアレで頭シャッキリさ。さーて,ここらで一曲かけてみよう。曲名はモン・パンニャーバーラミー,でっかいスケールの曲だ。内容も文句無し。これを上回る曲はないだろう。同じようなやつなんて作れっこない。さあ,いってみよう!モン・パンニャーバーラミー。」♪おーん かてー かてー ぱーらかてー ぱーらさんかてー ぽーてぃ さわーはー
「いやぁどうよ,サーリーブット,道を求める人,大人物たる人はこの深遠な(何が何だか良く判らない)パンニャーバーラミーを修行するべきだねえ。」
そして貴い人はアレの状態から戻ってきて,道を求める大人物アワローキテーサウォンを誉めた。
「良かった良かった,あなたが教えられたとおりパンニャーバーラミーを修行することです。そしたらすべての向う側の者達も歓ぶことでしょう。」
貴い人がこう云った時,サーリーブットと道を求める大人物アワローキテーサウォンは,天の神,人間,戦いの神,音楽の神たちと一緒に貴い人のことばに歓んだ。